突撃隊のブログ

ネット日記書きの徒然。

ヨブ記考察、あるいは分散微小化された神について

 さて、12/24日、クリスマス・イブですね。今コレを書いている僕は非常に酔っています。ウイスキー200ml空けてこれなので困ります。どのくらい酔っているかと言うとフラフラになって千香に行って上ロースカツ定食を食べて帰ってきたくらいです。酔いに任せてじゃなければこんなこと書けないですよ。

さて今回はクリスマスということでヨブ記を読んでみました。その感想をカキカキしたいと思っています。誤字脱字あったらすまんね。

 

ヨブ記については詳しいことは知らんのですが、なんでも聖書の中でも異端の章らしいです。今回初めて読んだのですが、なかなか心打たれる言葉が散見されたので考察してみたいと思います。

 

ヨブ記は主人公ヨブが幸せに暮らしているところから始まります。なんでも十人の子供を持ち、11000匹の家畜を持ち、東の国の一番の富豪であったそうな。羨ましい限りですね。

ある日サタンが神の元へと来て、ヨブについて質問します。「利益ないのに神を信仰なぞしない」と。神は買い言葉に売り言葉、「それでは彼のものに手出ししてみよ」と。全くはた迷惑な話だ。そうしてヨブはいっさいの財産と家族を奪われます。でもくじけないヨブ。偉いよあんたは。神への信仰を誓います。

でも神は突き放します。サタンに向かって「ヨブの命以外なら何でも奪っていい」って言うんだもん。悪魔だよねぇ。

そうしてヨブは皮膚病になり、みんなから疎まれるようになります。さっき噛んだ薬が苦いな。あ、関係なかったですね。

そうしてから三人の慈悲深い奴らがはるばる遠くからヨブを励ますためにやってきます。そうして励ましの言葉をかけるのですが、ヨブはすっかり鬱になっているのでこの世の恨みつらみを神への恨み言とともに吐き出します。それを聞いていた三人の慈悲深い奴らはだんだん腹が立ってきて、ヨブが悪いんじゃないかと攻め立てます。ヨブも負けじと論戦します。そんなこんなで論戦していると神が現れます。今更かよ。さっさと救えこのクズが。信仰が足らんだのなんだの言ってヨブは改心し、自分が悪かったと懺悔し、神は赦してヨブは幸せに過ごしましたとさ。はーあほらし。

 

こんなのは昔だから通用したんだ、今の世の中じゃ間違いなく通用しないね。第一今は、現代は絶対神なんか信じている輩なんかいないんだ。じゃあ代わりに何がいるんだって?うん、たしかにそれは気になる。何かって言うとそれは分散し、微小化しちゃったと思うんだよ。つまり神は不完全な多になって、どこに神がいるのか不明確になっちゃったんだ。

その微小な神がどこにいるかっていうと、それはみんなの友達とか、恋人とか、はたまた大好きなものだったり、概念だったり、それらに集合せずに離散して偏在しているんだ。

ヨブ記を読んでみてしっくり来た言葉がいくつかある。

1つ目は「この地上に生きる人間は兵役にあるようなもの、傭兵のように日々を送らなければならない」(7.1)

どこが兵役なのだろう?それは2つ目に書いてある。

「塵からは災いは出てこない。土からは苦しみは生じない。」(5.6)

「それなのに、人間は生まれれば必ず苦しむ。火花が必ず上に向かって飛ぶように。」(5.6)

つまり生きる上では必ず苦しみがあるのだ。どんな苦しみがあるのだろう?3つ目に書いてある。

「神は髪の毛一筋ほどのことでわたしを傷つけ、理由もなくわたしに傷を加えられる」(9.17)

つまりどんな些細なことでも災難が降りかかる原因となり、そこに理由などないのです。苦しみに理由なぞないのですよ奥さん。いやもちろん理由はあるのかもしれないのだけれど、それは僕らが知るところではないものなのです。

 

先程神は分散微小化してると言いました。それについて述べたいと思います。

かのニーチェが言ったように、現代において神は死にました。絶対神などは存在しないし、かといって多神教が栄えたかと言うとそうでもなく、ひたすら人間は神のいない空間に放り出されたのです。信じるもののいない不毛の荒野に。ですが神が死んだのはここ200年くらいですし、そう簡単に人間が神を捨てられるわけがありません。というか信じるもの、ですね。私が思うに、人は神への信仰心を、他者への無条件な信頼へと置き換えたのではないかと思います。ただ、人間は神に比べればとてつもなく頼りない存在です。ですので頼りにする存在を増やしました。そうして人々は神への信仰心という強大なものを、他者への信頼という弱いものをたくさん積み重ねることによって代替して来たように感じるのです。

 

一つを強く信じるというモノリシックなものより分散させたほうが耐衝撃性は強いです、もちろん。(だから精神病においてヒステリーや劇場的な自殺が減ったのかな?)でも代わりに一つ一つが脆弱になりました。なんせ神という絶対なものから、人間という相対存在に信仰の対象が変わり、そして人間は変化する生き物ですから、信仰対象がコロコロ変化するわけです。これでは信仰が安定しません。だから人はたくさんの人間に信仰を分散させ、リスクヘッジするわけです。

 

しかし、信仰を分散させられない人は大変です。神から人間へと弱い存在へと信仰をシフトしたのに、信仰のリスクヘッジができないものだから、一つが揺らいだらそれはもう自身の存在の危機なわけです。

信仰を分散させすぎた人も大変です。一つ一つの意味合いが薄いので、なんで信仰していたのか忘れがちです。ひとつに依存しないのはいいですが、信仰が空虚なものとなりがちです。

 

信仰の分散化が進んだことにより、苦しみの理由を突き止めることがますます難しくなりました。もともと理由なんてない苦しみが、原因の可能性が増えたおかげでますます疑心暗鬼になり、憎しみ合うようになります。でもそれと同時に他者は信仰の対象でもあるので、憎しみつつ信仰するというなんとも歪んだ関係へと変貌するのです。不健全ですね。

 

しかし私達は凡人なので、その信仰に乗っかる以外に道はないのです。誰か新たな信仰の形を見つけてください。